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第4話 揺れ動く日常

Author: 波 七海
last update Last Updated: 2025-11-21 15:11:49

 神星樹の王城ヴァンドスラシルでバムロールと初めての出会った翌日も、シャーロットは普段通りの生活を送っていた。

 木製のテーブルに頬杖を突きながら、世界神話の本を眺めているのだが、全く頭に入ってくる気配はない。

 大好きなコーヒーも入れたことだし、本来なら気分がアガるはずなのだ。

 更にはルナから貰った大切な白磁のティーカップ。

 だが、口をつけても気は一向に晴れることはなかった。

「あーあたしとしたことが、あれしきのことで動揺するなんてね」

 もちろんシャーロットは気分が乗らない原因はしっかりと把握している。

 自己分析はばっちりだ。

 シャーロットは縛られない。

 婚約破棄の件があったせいもあるが、伯爵家と言う家柄に収まることなく自由奔放な毎日を送っていた。

 例えるなら緑の風に乗って軽やかに舞う蒲公英たんぽぽの綿毛であり、水底を揺蕩う海藻かいそうであり、水面みなもに煌めく陽光であった。

 そうは言っても彼女は特段、自己中心的でも気分屋でもない。

 気に掛かるのはただただ、妖精族を含めた魔族の未来、ひいてはリンレイスやリーンノアの処遇のみ。

 それがなければ、あのような男のことで悩みなどしない。

 現時点ではシャーロットは特に結婚話をはっきりとは断らなかった。

「結婚しちゃおっかな……」

 憂鬱な顔をしてそう小声で呟いたシャーロットはテーブルへ突っ伏した。

 どう考えても不死の超越者オーバーロードたる魔王イルビゾンが滅ぼされない限り、魔族に敗北の文字はないと思われる。

 信頼できるリンレイスが言うのだから間違いないことなのだろう。

 戦争が長期に渡って続くようなことがあれば、流石に人間族や亜人族たちも疲弊して、講和の流れになるのではないかと都合の良い考えがシャーロットの頭を過る。

「魔族が人間たちと戦わない未来かー」

 そんな考えを口にして、シャーロットはハッと気が付いた。

 気に掛かる点がまだあることに。

「そうだ……ガイナスとヴァルのこともあるじゃんかよー。仲良くすればいいのに……」

 それに仮に人間族と講和するとしても、それが何年後になるのか予想もつかない上に、バムロールの妖精王就任はほぼ確実。どう考えても自分の意思とは関係なく、バムロールとの結婚は避けられそうにないとシャーロットはますます憂鬱になる。

 要は戦争が続いても、終わっても彼女に決定権はなさそうだ。

 その時、外から少し甘ったるい声が聞こえたような気がして、シャーロットは勢いよく上体を起こす。

「シャル~? いないの~?」

 そう言いながら、開け放たれた窓から覗き込んでいたのは、淡い緑色のドレスを纏ったエリーゼだ。

 先日、神星樹の王城ヴァンドスラシルの大広間で開催された夜会で会って以来だが、彼女はこうして時々ふらりと遊びにくる。

 シャーロットと同じく貴族であり侯爵家令嬢の彼女とは、それこそ幼体の頃からの付き合いである。

 美女ながら、あどけなく幼気いたいけな表情は見る者たちに大きな庇護欲を抱かせ、彼女が贔屓される様を幾度となく見せつけられてきた。

「あれー? エリーゼかよー? どしたの? 何で窓から?」

「そりゃ返事がなかったからに決まってるでしょうに? まだ寝てたの~? 顔に跡が付いてるみたいだけど……もうお昼よ?」

 呆れたようにそう言ったエリーゼは冷めた目をシャーロットへと向けている。

 本の上に突っ伏してしまっていたために跡が残ってしまったのだろう。

 

「別に寝てた訳じゃないわよ。ちょっと考え事よ、考え事ー!」

「な~にぃ? 相変わらず本に夢中ってワケ? そんなの読んだって何の得にもならないでしょうに。せっかく今を時めく18歳だんだからさぁ~もっと男に興味を持ったらぁ?」

 彼女の性格は今の言葉に詰まっている。

 「人の気も知らないで」とシャーロットは多少苛立ったものの、エリーゼが昨日の件を知っているはずもないので、仏頂面になりながらも罵倒の言葉を飲み込んだ。

「全く……この恋愛脳がよー! ほらほら。ま、取り敢えず入ったら?」

 取り敢えず投げやりな口調で告げたシャーロットはテーブルの上に開かれたままの本を閉じて脇にどけると、仕方なく椅子から立ち上がってキッチンへと向かう。

 彼女が次に言う言葉は決まっているから。

「はぁ~い! あ、私はハーブティーにしてよね。苦いのはイヤだし」

「へいへいっと……ハーブティーいっちょー!」

 気がささくれ立っている時は、どうにも嫌味な言葉を使ってしまいがちだ。

 ぶっきら棒な言い方になりかけたが、ルナの言葉を思い出したシャーロットは彼女の真似をして気前良く元気な声を出した。

 だが、玄関から入ってきたエリーゼの表情は怪訝なものであった。

「何なのよ、それぇ?」

「ルナさんが言ってたのよ」

「ああ、あの人間の女ねぇ……シャルのお気に入りだったわね。確か。私には人間と仲良くするなんて信じられないわ」

 自分の屋敷のように何の遠慮もなくソファーに座ってくつろぎ始めるエリーゼ。

 いつもほんわかした雰囲気を纏わせている彼女の口調が少し荒くなる。

 彼女が我儘なのはいつものことだが、明らかな嫌悪感を口にすることはあまりない。

 とは言えシャーロットとしては、自分と仲良くしてくれたルナが馬鹿にされるのは癪に障るのも事実。

「エリーゼ。ルナさんのことを悪く言うのは許さない」

「はぁ? 人間は魔族の敵でしょ? 現在進行形で戦ってる蛮族じゃないのよ!」

 珍しくも感情を押し殺した低い声色で告げるシャーロットにも、エリーゼが怯むことはない。

 普通に考えれば、彼女のような考え方が一般的なのかも知れない。

 それでもシャーロットは魔族は人間族と友好的な関係を築くことが出来ると信じている。

 こればかりは育ってきた環境や、積み重ねた経験と知識に大いに左右されるのだろう。

『あーしのいた場所では超大国が世界の警察やってたしー。戦争とかは起こってたけど、何だかんだで仲良くやってたんよ。てか人間って争うのが好きなもんよー! まったく難儀なもんだよねー!』

 思い起こされるのはルナの言葉。

 エリーゼに背中を向けてハーブティーの準備をしながら、シャーロットはポツリと呟く。

「圧倒的なまでの力があれば……?」

 ルナのことを思い出して少し冷静になったシャーロットは、落ち着きを取り戻すと来客用のティーカップに煮出したハーブティーを注ぎながら背中越しに告げる。

 部屋の中に何とも言えないかぐわしさが広がり、彼女の脳を痺れさせ、気分を更に穏やかにしてくれる。

 シャーロット自身はあまり飲まないのだが、エリーゼや他の友人たちはコーヒーよりハーブティーの方を好むので、手慣れたものだ。

「だからこそ理解が必要なのよ。もしかしたら戦わなくて済むかも知れないじゃない? 実際に昔は友好関係にあった訳だし」

「ふぅん……へぇ……シャルはとぉ~っても心が広いわねぇ。シャルは人間と戦うのが嫌なの?」

 含みのある言い方だが気にするだけ無駄だと思ったシャーロットは、平静を装ってエリーゼの前へカップをそっと置いた。ついでに自分の考えを伝えてみる。

「あたしは無理に戦う必要はないと思うんだが? きっと戦いたい理由を持つ"誰か"がいるんでしょーよ」

 そう言いながらシャーロットは自分の椅子に腰を降ろすと、既にすっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。

 争いを何らかの理由で起こしたいと考える者。

 単純に魔族を嫌い、憎む者。

 人間族には人間族の都合があり、魔族には魔族の都合があるのだ。

「私にはよく分からないわねぇ」

 ふて腐れた様子で吐き捨てると、エリーゼが不機嫌そうに脚を組み替えた。

 ドレスのスリットからは細く美しい脚が覗いている。

 特に分かろうともせずに、彼女は出されたカップに口をつけて、その香りと味を楽しみ始めた。

「あーね。『人間ノ天地ハ複雑怪奇』だからねー」

「何よそれ。またよく分からないことを言うのね」

 エリーゼの表情は少し和らいでいた。。

 カモミールとエルダーフラワーのハーブティーを入れた効果があったのか、多少言葉の角が取れた気がする。

 僅かに期待してはいたものの、リラックス効果などすぐに出てくるはずはないと思うのだが……。

「『世界人類史』って本に書いてあったのよー。人間たちはあたしたちと違って仲間同士で戦争してるって訳よ」

 とは言ったものの、魔族同士で争っていた時代も当然あったし、現在でも戦争こそないとは言え、激しく意見が衝突しているらしい。

 絶賛戦争中であるし、人間族よりも武力に重きを置く魔族だからこそ、引くに引けない面子の張り合いがあるのだろう。

 そこへ――

 会話を邪魔するように大きな音が響いた。

 突然のことで驚いた2人が顔を向けると、そこには大きく肩で息をして佇んでいるヴァルシュの姿。

 大きく目を見開いていたシャーロットだったが、幼馴染だと理解すると安堵のため息を吐いた。

「え? ヴァルじゃな~い。どうしたのよ~?」

「ヴァルじゃんかよー! まだこっちにいたの? 驚かせないでよね、もー!」

 エリーゼとシャーロットが口々に批難するが、ヴァルシュはそれを一喝。

 真剣な眼差しでシャーロットを見つめながら強い口調で問い質す。

「そんなことはどうでもいい! シャルとバムロールの結婚が正式に決まったと聞いた。承諾したのかよシャル!」

「は……?」

 目の前が真っ白になったシャーロットの口からは間の抜けた声が零れ落ちるのみ。

 彼女が正式に結婚すると返事をした事実はない。

 青天の霹靂とはこのことだろう。

「へぇ……ふぅん……ねぇヴァル、結婚はいつになるの?」

 ヴァルシュの言葉を聞いて、意味ありげな笑みを浮かべながら、エリーゼが興味深そうに尋ねた。

 シャーロットの姿しか目に入っていなかったヴァルシュはエリーゼを一瞥しただけで、すぐに視線を戻すと口早に話し始める。

「ああ!? エリーゼもいたのかよ……3日後だって聞いたぞ! 妖精王の戴冠式と結婚の儀を同時に行うそうだ。俺はガルガンドルム様に従ってフィアヘイムに来たんだよ」

「あら? ロリヘイム公爵家のご子息だったわよね。確か対人間族強硬派で有名よね~。そんな方の妻が人間との融和を語っちゃダメなんじゃないの~?」

 エリーゼが面白そうな声を上げる中、シャーロットはリンレイスがいよいよ追い詰められたと言うことを悟った。

 対して広くもない家に、図らずも3人の幼馴染が顔を合わせた。

 ヴァルシュはやきもきしているかのようで狼狽しているし、当人のシャーロットは我に返ったものの、もう何度目になるかも分からない板挟みの状態に疲れの色が見えている。

 ただエリーゼだけは面白いことになったとばかりに、1人口角を吊り上げていた。

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