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木製のテーブルに頬杖を突きながら、世界神話の本を眺めているのだが、全く頭に入ってくる気配はない。
大好きなコーヒーも入れたことだし、本来なら気分がアガるはずなのだ。 更にはルナから貰った大切な白磁のティーカップ。 だが、口をつけても気は一向に晴れることはなかった。 「あーあたしとしたことが、あれしきのことで動揺するなんてね」 もちろんシャーロットは気分が乗らない原因はしっかりと把握している。 自己分析はばっちりだ。シャーロットは縛られない。
婚約破棄の件があったせいもあるが、伯爵家と言う家柄に収まることなく自由奔放な毎日を送っていた。 例えるなら緑の風に乗って軽やかに舞う気に掛かるのはただただ、妖精族を含めた魔族の未来、ひいてはリンレイスやリーンノアの処遇のみ。
それがなければ、あのような男のことで悩みなどしない。
現時点ではシャーロットは特に結婚話をはっきりとは断らなかった。 「結婚しちゃおっかな……」 憂鬱な顔をしてそう小声で呟いたシャーロットはテーブルへ突っ伏した。 どう考えてもその時、外から少し甘ったるい声が聞こえたような気がして、シャーロットは勢いよく上体を起こす。
「シャル~? いないの~?」 そう言いながら、開け放たれた窓から覗き込んでいたのは、淡い緑色のドレスを纏ったエリーゼだ。 先日、「そりゃ返事がなかったからに決まってるでしょうに? まだ寝てたの~? 顔に跡が付いてるみたいだけど……もうお昼よ?」
呆れたようにそう言ったエリーゼは冷めた目をシャーロットへと向けている。 本の上に突っ伏してしまっていたために跡が残ってしまったのだろう。「別に寝てた訳じゃないわよ。ちょっと考え事よ、考え事ー!」
「な~にぃ? 相変わらず本に夢中ってワケ? そんなの読んだって何の得にもならないでしょうに。せっかく今を時めく18歳だんだからさぁ~もっと男に興味を持ったらぁ?」
彼女の性格は今の言葉に詰まっている。 「人の気も知らないで」とシャーロットは多少苛立ったものの、エリーゼが昨日の件を知っているはずもないので、仏頂面になりながらも罵倒の言葉を飲み込んだ。 「全く……この恋愛脳がよー! ほらほら。ま、取り敢えず入ったら?」 取り敢えず投げやりな口調で告げたシャーロットはテーブルの上に開かれたままの本を閉じて脇にどけると、仕方なく椅子から立ち上がってキッチンへと向かう。 彼女が次に言う言葉は決まっているから。 「はぁ~い! あ、私はハーブティーにしてよね。苦いのはイヤだし」「へいへいっと……ハーブティーいっちょー!」
気がささくれ立っている時は、どうにも嫌味な言葉を使ってしまいがちだ。 ぶっきら棒な言い方になりかけたが、ルナの言葉を思い出したシャーロットは彼女の真似をして気前良く元気な声を出した。 だが、玄関から入ってきたエリーゼの表情は怪訝なものであった。 「何なのよ、それぇ?」「ルナさんが言ってたのよ」
「ああ、あの人間の女ねぇ……シャルのお気に入りだったわね。確か。私には人間と仲良くするなんて信じられないわ」
自分の屋敷のように何の遠慮もなくソファーに座ってくつろぎ始めるエリーゼ。 いつもほんわかした雰囲気を纏わせている彼女の口調が少し荒くなる。 彼女が我儘なのはいつものことだが、明らかな嫌悪感を口にすることはあまりない。 とは言えシャーロットとしては、自分と仲良くしてくれたルナが馬鹿にされるのは癪に障るのも事実。 「エリーゼ。ルナさんのことを悪く言うのは許さない」「はぁ? 人間は魔族の敵でしょ? 現在進行形で戦ってる蛮族じゃないのよ!」
珍しくも感情を押し殺した低い声色で告げるシャーロットにも、エリーゼが怯むことはない。 普通に考えれば、彼女のような考え方が一般的なのかも知れない。 それでもシャーロットは魔族は人間族と友好的な関係を築くことが出来ると信じている。 こればかりは育ってきた環境や、積み重ねた経験と知識に大いに左右されるのだろう。 『あーしのいた場所では超大国が世界の警察やってたしー。戦争とかは起こってたけど、何だかんだで仲良くやってたんよ。てか人間って争うのが好きなもんよー! まったく難儀なもんだよねー!』 思い起こされるのはルナの言葉。 エリーゼに背中を向けてハーブティーの準備をしながら、シャーロットはポツリと呟く。 「圧倒的なまでの力があれば……?」 ルナのことを思い出して少し冷静になったシャーロットは、落ち着きを取り戻すと来客用のティーカップに煮出したハーブティーを注ぎながら背中越しに告げる。 部屋の中に何とも言えない「ふぅん……へぇ……シャルはとぉ~っても心が広いわねぇ。シャルは人間と戦うのが嫌なの?」
含みのある言い方だが気にするだけ無駄だと思ったシャーロットは、平静を装ってエリーゼの前へカップをそっと置いた。ついでに自分の考えを伝えてみる。 「あたしは無理に戦う必要はないと思うんだが? きっと戦いたい理由を持つ"誰か"がいるんでしょーよ」 そう言いながらシャーロットは自分の椅子に腰を降ろすと、既にすっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。争いを何らかの理由で起こしたいと考える者。
単純に魔族を嫌い、憎む者。 人間族には人間族の都合があり、魔族には魔族の都合があるのだ。 「私にはよく分からないわねぇ」 ふて腐れた様子で吐き捨てると、エリーゼが不機嫌そうに脚を組み替えた。 ドレスのスリットからは細く美しい脚が覗いている。 特に分かろうともせずに、彼女は出されたカップに口をつけて、その香りと味を楽しみ始めた。 「あーね。『人間ノ天地ハ複雑怪奇』だからねー」「何よそれ。またよく分からないことを言うのね」
エリーゼの表情は少し和らいでいた。。 カモミールとエルダーフラワーのハーブティーを入れた効果があったのか、多少言葉の角が取れた気がする。 僅かに期待してはいたものの、リラックス効果などすぐに出てくるはずはないと思うのだが……。 「『世界人類史』って本に書いてあったのよー。人間たちはあたしたちと違って仲間同士で戦争してるって訳よ」 とは言ったものの、魔族同士で争っていた時代も当然あったし、現在でも戦争こそないとは言え、激しく意見が衝突しているらしい。 絶賛戦争中であるし、人間族よりも武力に重きを置く魔族だからこそ、引くに引けない面子の張り合いがあるのだろう。 そこへ―― 会話を邪魔するように大きな音が響いた。 突然のことで驚いた2人が顔を向けると、そこには大きく肩で息をして佇んでいるヴァルシュの姿。 大きく目を見開いていたシャーロットだったが、幼馴染だと理解すると安堵のため息を吐いた。 「え? ヴァルじゃな~い。どうしたのよ~?」「ヴァルじゃんかよー! まだこっちにいたの? 驚かせないでよね、もー!」
エリーゼとシャーロットが口々に批難するが、ヴァルシュはそれを一喝。 真剣な眼差しでシャーロットを見つめながら強い口調で問い質す。 「そんなことはどうでもいい! シャルとバムロールの結婚が正式に決まったと聞いた。承諾したのかよシャル!」「は……?」
目の前が真っ白になったシャーロットの口からは間の抜けた声が零れ落ちるのみ。 彼女が正式に結婚すると返事をした事実はない。 青天の霹靂とはこのことだろう。 「へぇ……ふぅん……ねぇヴァル、結婚はいつになるの?」 ヴァルシュの言葉を聞いて、意味ありげな笑みを浮かべながら、エリーゼが興味深そうに尋ねた。 シャーロットの姿しか目に入っていなかったヴァルシュはエリーゼを一瞥しただけで、すぐに視線を戻すと口早に話し始める。 「ああ!? エリーゼもいたのかよ……3日後だって聞いたぞ! 妖精王の戴冠式と結婚の儀を同時に行うそうだ。俺はガルガンドルム様に従ってフィアヘイムに来たんだよ」「あら? ロリヘイム公爵家のご子息だったわよね。確か対人間族強硬派で有名よね~。そんな方の妻が人間との融和を語っちゃダメなんじゃないの~?」
エリーゼが面白そうな声を上げる中、シャーロットはリンレイスがいよいよ追い詰められたと言うことを悟った。対して広くもない家に、図らずも3人の幼馴染が顔を合わせた。
ヴァルシュはやきもきしているかのようで狼狽しているし、当人のシャーロットは我に返ったものの、もう何度目になるかも分からない板挟みの状態に疲れの色が見えている。ただエリーゼだけは面白いことになったとばかりに、1人口角を吊り上げていた。
シャーロットはフェイトとブラッド、そして護衛を引き連れ、憂いを帯びた表情で妖精王の執務室へと向かう。 あの下卑た新王バムロールと顔を合わせるのは不愉快以外の何者でもないし、あんなことを仕出かした以上、何を言われるのか不安ではある。 シャーロットは自身に明確な悪意が向けられた経験がほとんどない。 バムロールやエリーゼたちの真意を思い出すと、不意に胸が押し潰されそうになる時がある。 だがそれだけだ。 自分の道は自分が決めると啖呵を切った以上、シャーロットの心は自身が考えていたほど揺らぐことはなかった。 そんな様子を察してフェイトが労わりの言葉を掛ける。 「シャーロット様、ご心配には及ばないでしょう。恐らくあの男は現実を受け止めきれていないでしょうが」「あーね。思いきりぶん殴ったからねー」「くくく……私も是非その場に居合わせたかったものです」 婚姻の儀のことを思い出して顔を赤く染め、何処か遠い目になるシャーロット。 それを見てブラッドは含み笑いを隠そうともせずに、滑稽だとばかりに言ってのけた。 「しっかしマウントねー。それってどーすんの? またぶん殴ればいいの?」「まぁ私にお任せください。シャーロット様は堂々となさっていて下されば良いのです」 シャーロットが左拳を硬く握りしめながら発した物騒な言葉に、フェイトは今まで見せたこともないような邪悪な笑みを浮かべながら言った。 そして到着した妖精王の執務室。 取り敢えずノックしかけたシャーロットであったが、気まずさが先に立って踏ん切りがつかない。 フェイトはそんなシャーロットを微笑ましく見守りつつ全く躊躇うことなく扉を叩いた。 シャーロットよりも若いのに大したものだ。 執務室から機嫌の良い声が聞こえたかと思うと、勢いよく扉が開かれる。 それを見てシャーロットが意外そうな表情になってしまった。 予想外の人物が目の前に立っていたことに少しばかり驚いたためだ。 なんと妖精王バムロールが一同を出迎えたのだ。 王自ら出迎えるなど普通はあり得ないがパフォーマンスであろう。 「シャーロット! よくぞ来てくれた! 式は中断となったが緊急事態だ。仕方なかろう! 親睦を深めたくてな。ささ、私の部屋へ入ってくれ」 どんな
「ええーッ!? あたしが次期魔王に!?」 リンレイスから衝撃の言葉を告げられたシャーロットの叫び声が室内に木霊した。 魔王イルビゾン封印の報と自らの左手の甲に発現した魔呪刻印――次々と起こる予期せぬ出来事に、彼女の頭は大混乱に陥っていた。 神話や歴史書を読み込んでいるシャーロットは当然、その意味を知っているが、それが自身に降りかかるなど考えてもみなかったのだ。 シャーロット自身、バムロールには怒りの鉄拳を喰らわせるつもりだったのだが、何故か颯爽とヴァルシュが助けに来てくれた。 まるでお伽噺の中の騎士様である。 しかもアレはお姫様抱っこと言う神聖なモノであるはず。 色々と起こりすぎて正直、頭が沸騰しそうな勢いである。 「落ち着きなさい。魔帝國の中で魔呪刻印が発現したのは貴女だけなの。恐らくだけれど……今のところ、他の魔族に発現したと言う話は聞かないわ」 素っ頓狂な声を上げて思わず立ち上がったシャーロットをリンレイスが軽く窘める。 彼女はシャーロットの自宅のリビングでソファーに座っていた。 そしてため息を吐きつつ、シャーロットの目を真っ向から見つめて諭すように告げる。 「わたくしは貴女にとって良い話だと考えているわ。そしてそれはシャーロット、貴女を忌々しい呪縛から解放することを意味します」「でも……でも、あたしには他種族の方々のような力はないんだが?……じゃなくてありませんよ!?」 リンレイスが邪悪な笑みを浮かべているのが気になるところだが、今はそんなことまで考えている場合ではない。 齢が304を数え、在位227年にも及んだリンレイスに対して、シャーロットはまだ18歳の若造だ。 一族をまとめるのも難しそうなのに、魔族全体を統括するのは更に難しいと言わざるを得ない。 その不安故に無意識の内に、魔呪刻印を持つ左手は強く握りしめられていた。 「確かに我々、妖精族は力はありません。ですが、その魔力と霊気は魔王軍の中でもトップクラス。それに、戦争は力が全てではありません」 結婚の儀のことを思い出すシャーロットに、リンレイスは懇々と言い聞かせる。 政治などに疎い素人を
――リーン・フィアの首都フィアヘイム。 神星樹城の大会議室は、喧騒に包まれていた。 円卓には12の種族の長やその代理の者が座っている。 平時であれば新妖精王の戴冠式のために各族長が訪れていたはずなのだが現在は有事である。 種族で最も強く、一族を纏める者――族長の多くが前線に赴いているのは当然の流れであった。 それに代理の者すら派遣できずにいる種族がいるほどの激戦区も存在している。 「慣例に従って粛々と新たな魔王を決めるべきだろう」 今日何度目かの同じセリフを吐いたのは、死霊族の長クルスフィリアであった。 「そうは言うが我が虎狼族のガルビス様は前線のギーズデン砦で、更には鬼人族のキーラ様は東のケイトス峡谷で人間共と交戦中だ! 他の族長も散り散りになっているんだぞッ!」 虎狼族の族長代理の男が、己の不利をここぞとばかりに喚きたてた。 勇者一行に魔帝國の帝都イヴィルまで攻め込まれ、魔王を封印された挙句、攻勢を受けて各種族は地方で分断されている。 クルスフィリアの意見に応えたのは、不死族のナンバー2だった者であった。 「そんなことは理解している。だが、不死の王であるイルビゾン様が封印された今、直ちに新魔王を決めるのが何より先決のはず」「ガルビス殿やキーラ殿は魔呪刻印が出ていないのであろう?」「その他の族長に刻印が発現したという話も聞かぬな」「まさか封印された場合は、新たな刻印は現れないのか?」 そんな紛糾する会議の中で、『元』妖精王リンレイスが静かに挙手し立ち上がった。 議長を務めていた龍王ガルガンドルムは、すぐに騒いでいた者たちを黙らせる。 騒ぎ立てていた者たちの視線が集中するが、彼女は全く動ずることがない。 一同が静まるのを待って、彼女は穏やかな口調で言葉を発した。 喧嘩腰の他種族の者とは違って物腰柔らかで、あくまで自然体、余裕さえ感じられる。 「我らが妖精族の1人に魔呪刻印が発現致しましたわ」 それを聞いて慌て始めたのは、この場にいた族長たちであった。 魔呪刻印は正統なる魔王の証。 「何ッ!? それは間違いないのか?」「刻印が現れたのであれば是非もなし」「惰弱な妖精族に|魔呪刻印《インキューズメ
デスペラント大陸。 人間や亜人からは魔大陸と呼ばれている場所の南方に、その国家は存在した。 中央アルガノン大陸有数の強国であり、最大の版図を誇るエルメティア帝國である。 現在でこそ落ち着いているが、最盛期では12の騎士団が周辺の8か国を滅ぼしたほどだ。 彼の国は人間列強国7か国同盟軍の盟主であり、亜人族と連合を組んで、魔族領――デスペラント魔帝國へと侵攻していた。 ここは天まで伸びようかと言う帝城の謁見の間。 広々とした室内に堂々と鎮座している玉座に腰を降ろすのは、帝國の第1皇子であり、皇太子たるガイナス・エル・ティア・クラウレッツ。 彼は昨夜見た夢についてボーット考えを巡らせていた。 幼少の頃の温かい想い出だ。 夢に出てきた少女の名はシャーロット。 妖精族であり、元婚約者でもある。 11年前の戦争終結のために、当時の魔王の養子としてシャーロットが迎えられ、そしてガイナスが彼女と婚約関係を結んだと言う経緯がある。 「殿下! ガイナス皇太子殿下ッ!!」 そこへガイナスの思考を打ち破る大声が、耳に突き刺さる。 突如として重厚な扉が力強く開かれて、駆け込んできた者がいた。 とても頑強な造りになっている上に、重量のある扉を容易く押し開く辺り大した膂力の持ち主である。 ガイナスはシャーロットとの想い出をぶち壊した大将軍に恨みがましい視線を送る。 取り乱しながら足早に歩いて来る彼に、ガイナスは怪訝な目を向ける。 だが、礼を失してしまうほどの我の忘れように、ガイナスもかなりの重大事だと理解して気持ちを切り替え、僅かに心を引き締めた。 「落ち着け、リシャール。貴様らしくもない」「はッ……申し訳ございませぬ……私としたことが取り乱しました。お見苦しいところをお見せして――」「良いッ! そんなことより余程のことがあったのだろう? 貴様があのような態度をするほどだからな」 慌てて謝罪の言葉を口にしようとした大将軍リシャールを制して、ガイナスが問い質した。 切れ長の目尻を吊り上げて、鋭い視線を向けて。 リシャールは、深呼吸をすると先程までとは打って変わった様子で粛々と報告を始める。 「勇者殿が、魔王イルビゾンを封印することに成功したのですが……」「ほう! そ
運命は無情であり、無常である。 今日と言うこの日がシャーロットにとってどのような日になるのか、彼女には知る由もない。 執り行われるのは妖精王リンレイスの譲位、つまり新しい妖精王の戴冠式。 そして引き続き、新王となるバムロールとシャーロットの結婚の儀へと移る。 妖精族のみならず、後の『魔王伝』には多くの証言が書き記されることとなる。 目撃者たちはその目を輝かせながら口々に語った。 「いやな。俺もあんなことになるとは思ってもみなかった。まさに前代未聞って奴さ」「私もあんな抒情詩みたいな体験をしてみたかったわぁ……ああ、なんて素敵なの……」「あれは奇跡と言っていい。そう、全ては決まっていたんだよ。宿命ってことだ」 ――― シャーロットは新婦の控室にて、来たるべき未来へ備えていた。 色とりどりの花々で飾り付けられ、華やぐ室内は貴族たちからの贈答品や御祝花で溢れていた。 「甘ったるい香り……花って言うのは自然に咲き乱れるからこそいいんじゃない」 背中が大きく開いた真っ白な純白のドレスを身に纏い、木の椅子に腰を落ち着けている。 シャーロットの背中の羽は、風もないのにゆらゆらと揺らめいていた。 運命の岐路。 だが彼女に動揺する気配は全く見られない。 落ち着き払って一点を集中して見つめている。 「シャーロット様、とてもお美しいですわよ」「そう。ありがとう」 シャーロットの衣装を整えた妖精族の女性は、嬉しそうに目を細めて褒め称えるが、その心中などとても推し測れるはずがない。 彼女が悪い訳ではない。なにせ相手は妖精王なのだ。 幸せを信じて疑っていない様子がシャーロットの身にひしひしと伝わってくる。 「間もなく戴冠式が行われます。もうしばらくお待ち下さい!」「そうね。あたしも見届けなきゃね」 儀式の開始を告げに来た男性の言葉を聞いて、シャーロットが徐に立ち上がる。 それを聞いて慌てたのは世話人たちだ。 シャーロットの言動に対して何を思ったのかは知らないが、メイクや衣装などが乱れるからと止めに入る。 彼らの制止を振り切って、シャーロットは戴冠式が執り行われる大式典場の袖に足を向けた。 シャーロットが裏手か
『魔王の証たる魔呪刻印を持つ者は妖精族の中から現れる』 リンレイスが告げた神託の内容と、それが意味するところは、ガルガンドルムとドンケルクの心にストンと落ちたようだ。 両者共に納得顔でただただ頷いている。 これこそが現在の魔族の中で最も発言力のある2人を呼んだ理由。 妖精族から魔王が誕生すれば、国内はその者の下は集い、強い団結力へと繋がるのは必定。 魔王と妖精王の立場を鑑みれば、妖精族たちがどちらに付くかは火を見るよりも明らかだ。 あわよくば、シャーロットとバムロールの結婚をご破算にして、その魔の手から彼女を解き放つこともできるはず。 悲しい想いをさせた彼女には自由に生きて欲しい。 そう考えたリンレイスが最後にできるのは根回し。 そしてもしもの時の最終手段。 妖精族としての意地を見せ、一族の繁栄のみを目指すことだ。 とは言え、これを選択するのは本当に最後の最後――追い詰められた刻。 今は何より、他種族の王たちに極めて強い影響力を持つ龍族と巨人族を説き伏せるのが最優先事項だ。 現在の戦況を膠着状態に持ち込めているのは両族のお陰だと言っても過言ではないのだから。 「それが真の目的と言う訳か……なるほど魔族大会議のことだな」 ――魔族大会議。 魔王と選出するための魔族に連なる全種族による話し合いと投票の場。 魔呪刻印を持つ者が魔王になるのが絶対であるとは言え、肝心の支持を得られぬまま魔王になっても従わない者が出るのでは意味がない。 平和期と魔族内部の動乱期、人間族との戦争期を経て、刻と共に伝統と価値観は移ろいゆく―― そんな変化が訪れたが故にできた仕組みであった。 とは言え、未だに魔帝國内では保守派と革新派に別れて議論が交わされて続けている。 保守派は魔呪刻印の有無のみを重要視する古来からの価値観を護ろうとする者たち。 革新派はそれのみならず、実力が伴ってこその魔王だと考える者たち。 「お2人には是非、その場にて支持をお願いしたいのです」「リンレイス殿の気持ちは理解するが、簡単に頷くことはできぬな。昔と違って資質も問われる時代だ」「我は構わンがな…